とれいん工房の鉄道省私文書館

鉄道関係の情報を中心としたブログ。主に未成線や廃線、鉄道史、宮脇俊三、関西の鉄道、ローカル線など鉄道趣味の外縁部を紹介します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

紀伊半島の貨物索道の話 その4

4回シリーズのラスト。昭和になって貨物索道が消えていく状況を示しています。

■トラック輸送の拡充と索道の撤去
このように紀伊半島関係の索道は昭和初期で三〇路線を越える路線があったと思われる。大和索道社長の石田美善蔵が、一九一五年に安全索道商会を結成し、紀伊山中部で索道システムの売り込みに奔走した影響もあったのであろう。他地域にも索道のシステムは移築されるが、観光用の索道がそのほとんどで、貨物索道は紀伊半島のものがほとんどであった。
基本的には山上部から木材関係(丸太・木炭など)、あるいは凍豆腐や鉱石などの特産品を積み卸し、米や大豆、雑貨などを山中に運んでいた。禁じられてはいたが、たまには人を運ぶこともあったという。運転速度は自転車より少し速い程度だから、さほど事故はなかったようだ。

ただ、運搬費は決して安いわけではなく、従来通り筏流しで川を下る木材が大部分を占めていたようだ。例えば、一九三〇年ころの北山地区の木材輸送は、索道での輸送は一二%に過ぎず、トラックが二八%、筏が六〇%を占めていた。
やがて昭和期になると、道路の整備に伴いトラックが山中にも入ってくるようになり、次第に一般物資の輸送はトラックでの運搬に頼るようになる。木材の輸送も次第に機動力のあるトラック輸送に転換されるようになり、運転を休止する索道が相次ぐ。
戦時期、石油の入手が困難になったこともあり、トラック輸送を索道に転換する動きもあったが、戦時統制が解除されると、再びトラック輸送は活発化する。そのため、一九五一年に大和安全索道が全廃し、吉野地区の幹線ルートとして活躍してきた大和索道も、立里鉱山の閉鎖もあって一九六〇年頃に姿を消している。
一九五九年には、上北山村東ノ川地区の唯一の交通手段として残っていた尾鷲索道も廃止。そして、一九六七年には最後まで稼働していた紀州鉱山索道が運行を取り止め、六〇年近く続いた紀伊山中での貨物索道の運行は終了している。

さいごに

この四回の連載は、私が1999年に刊行した、とれいん工房「鉄道未成線を歩く2 近鉄・紀伊山地篇」に盛り込んだ文章を転用いたしました。お問い合わせはhttp://d.hatena.ne.jp/katamachi/aboutにあるメアドまで。
スポンサーサイト
  1. 2006/09/08(金) 06:03:00|
  2. 未成線・廃線の話

プロフィール

もりくち

Author:もりくち
関西在住の鉄道マニア兼バックパッカー。「とれいん工房」として同人誌を多数発行。2001年に「鉄道未成線を歩く 私鉄編」、2002年に「鉄道未成線を歩く 国鉄編」をJTB出版事業局(現、JTBパブリッシング)から刊行しています。日々の話は、下のリンク先にある「とれいん工房の汽車旅12ヵ月」へ。連絡先はmalmori●nifty.com。

カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

月別アーカイブ

カテゴリー

最近の記事

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

最近のコメント

FC2ブックマークに追加する

FC2ブックマークに追加

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

FC2カウンター


無料カウンター

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。