とれいん工房の鉄道省私文書館

鉄道関係の情報を中心としたブログ。主に未成線や廃線、鉄道史、宮脇俊三、関西の鉄道、ローカル線など鉄道趣味の外縁部を紹介します。

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宮脇俊三書評40作 (11)「失われた鉄道を求めて」

失われた鉄道を求めて 失われた鉄道を求めて
宮脇 俊三 (1989/09)
文藝春秋

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失われた鉄道を求めて 失われた鉄道を求めて
宮脇 俊三 (1992/09)
文藝春秋
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 30年前、40年前の時刻表を読んでいると、無念の想いがこみ上げてくるのは私だけではないはずだ。
 夕張鉄道やら歌登町営軌道やら定山渓鉄道やら耶馬渓鉄道やら田口鉄道やら淡路交通だやら井笠鉄道やら北恵那鉄道やら羽後交通やら……書いているだけでも口惜しさがこみ上げてくるけれども、とにかく時刻表末尾の社線ページにはキラ星のごとく超弩級のローカル私鉄が点在していた。国鉄本文のページも同様。宇品線やら札沼線やら篠山線やら鍛冶屋原線やら大島航路やら。リアルタイムでは体験することができなかった路線が資料を見ずにスラスラ出てくるのは色々とこだわりがあるからなんだろう。特に80年代の国鉄再建法の絡みで消えていった特定地方交通線。家族や学校に拝み倒して中学一年生の時から一人旅に出かける機会を得たこともあり、その6割方は乗車することができた。2割ほどの第3セクター化された路線も後に訪問することができた。けど、残りの2割。白糠線、士幌線、羽幌線、岩内線、日中線、赤谷線、倉吉線、添田線、宮原線、妻線……消えていった宝物は二度と還ってこない。目の前で見送ってのだから始末が悪い。あと5年、いや2年でも早く生まれていたならば……との想いが去来してやまないが、もはや後の祭り。あまりにも口惜しかったから、こうした路線の命日は今でも頭にこびりついている。こうした鉄道関係の文章を紡いでいるのも、元を辿れば、あのときの怨念を引きずっているからなのである。

 私的な喋りが過ぎた。とにかく、いちおう大正生まれの宮脇も私と同様の気持ちが強いようで、本作ではそうした消えていった廃線の跡地巡りを始めている。

 ここまで来ると、太平楽な鉄道趣味も厳粛な面持ちを呈し始める。何せ、地図を片手に一度も見ることができなかった恋人の墓巡りをしているのである。その愛情をぶつける場所にも難渋する。「夏草や 兵どもが 夢の跡」なんて芭蕉の「もののあはれ」の心境。そして失ったものに執着し続けるマニアの情念。存在しないものにこだわりつづけことの空しさと共に軽やかに描かれている。
 一度でも廃線跡巡りをしてみると分かると思うけれども、廃止されたのはわず数十年前というのに、遺跡は案外残っていないものである。赤字補填のために換金できそうなレールや枕木は早々に撤去されるし、広大な駅用地は近所の方に売却されてしまう。後に残るのは、幅員が狭すぎて道路にも転用できない線路敷地、そして再利用の方法がないのに撤去費が割高な橋桁やトンネルだけ。町の中心部だと、それすらも撤去されてしまい、跡をトレースするのもかなわない。そうした痕跡を追いつつ在りし日の姿を思い起こし、そこから取り残された人々の動きを紹介していく。

 ただ、消えゆく鉄道遺跡を追いつつ、宮脇自身は何を思ったのか。「虚しく暗い口を開けたトンネル。入り口に建てられた工事の犠牲者の慰霊碑の前に独り佇んだときなど、鬼気が迫ってくる」との感慨も身にしみる。対象とすべき鉄道がなくなったのに、その残影を求めて歩き回る。その不毛さ、無意味さ。本当に因果な趣味だと思う。
 廃線跡巡り自体は70年代から『鉄道ピクトリアル』誌で断続的に連載されていたし、北大の堀淳一による紀行文も発表されていたが、マニアの域を脱し得るものではなかった。それが、『失われた鉄道を求めて』が発刊された89年以降、廃線跡巡りのムーブメントは一般読者にまで広がっていった。宮脇が編者として名を連ねている『鉄道廃線跡を歩く』(第1弾は95年)へとその動きは続いていく。このシリーズは、その後、02年に発刊された第9弾まで続いていくが、そのいずれにも宮脇本人が巻頭ルポを担当している。97年に南米を訪れた後に入院した影響か、体力も気力も筆力も衰えてしまったようで、その後、廃線跡シリーズ以外の取材依頼をほとんど受けず、最期の時を迎える。

 宮脇自身も『失われた鉄道を求めて』のあとがきで

私自身、『鉄道ファン』として文章を書いているが、それも終りに近づき、別の境地にさしかかっているような気がしている。廃線跡紀行の先に何があるのかと問われても、困るのだが。

と結んでいる。

 「七十を過ぎた宮脇さんが、しきりに廃線跡の探訪取材をやつたのは、何だか、健康の衰へとやがて迎へる死とを象徴してゐたやうに思へてならない。」

と、没後、阿川弘之が追悼文の中でこのように語っている。宮脇が作家としての死期を求め始めたターニングポイントとして、この作品をとらえることもできよう。

         【1989年 文藝春秋】
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  1. 2006/09/20(水) 02:06:36|
  2. 宮脇俊三の話

プロフィール

もりくち

Author:もりくち
関西在住の鉄道マニア兼バックパッカー。「とれいん工房」として同人誌を多数発行。2001年に「鉄道未成線を歩く 私鉄編」、2002年に「鉄道未成線を歩く 国鉄編」をJTB出版事業局(現、JTBパブリッシング)から刊行しています。日々の話は、下のリンク先にある「とれいん工房の汽車旅12ヵ月」へ。連絡先はmalmori●nifty.com。

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