未曾有の混乱はようやく終わりを告げるが、この案件は中央公論社に大きな禍根を残した。
嶋中社長は左右双方から相次いだ抗議の連続に萎縮し、社業と距離を置き始める。優れた編集者であり、プランナーであったが、会社の主としては狭量だったと評されている。当時の部下たちが中公を回顧するときにも、意図的に嶋中について触れようとはしない。
ストの争点の一つとなった粕谷編集長はその職を解かれている。辞職届を強要した嶋中社長や会社側(宮脇?)に不信感を抱く。労働組合は穏健派が主導権を握り、徹底抗戦を訴える強硬派は孤立する。社員の大多数は無関心を決め込み、組合活動も出版活動も会社自体も沈滞ムードが漂うようになる。
こうした混乱を嫌ったのか有力な社員も次々と辞表を提出する。後に直木賞作家となる綱淵謙錠や井出孫六、村松友視も含まれていた。組合側の主導的な立場にあった武田秀人や柳田邦夫のように同業他社、フリーへの転出も相次ぐ。『婦人公論』元編集長の三枝佐枝子、『中央公論』元編集長の笹原金次郎、『海』創刊編集長の近藤信行も去っていく。笹原は退任の挨拶で「出版社は人間だけが財産です。人間をたいせつにしてください」(「『風流夢譚』事件以後」p.253)と言い残していったというが、その後も人材の流出は止まらなかった。
労使闘争の混乱が尾を引いて沈滞ムードを払拭できない七〇年代、社業は行き詰まりの呈を見せ始める。
過激な行動を取っていた一部社員は組合活動からも除外され、会社に対する敵意を露わにする。会社は解雇を通告するが、今度は彼らの抵抗運動が始まる。ストライキの際に会社側の主導的立場にいた宮脇への風当たりは強かったようだ。
『途中下車人生』では、宮脇が出勤しようとしたときに元社員たちに妨害されたり、日曜日には自宅まで押しかけられ罵詈雑言を書き殴ったビラを配られたなどのエピソードが紹介されている(p.128)。
拡声器の怒鳴り声を物まねした娘さんの「宮脇チュンジョー、出てこい」なんてセリフを引用し、独特のユーモアで包んでいるが、実際は暴力行為もあってかなり陰湿なものであったらしい。
そんな混乱に動揺した嶋中社長は、宮脇ら幹部、そして社員たちに集団出社を命じる。社員たちの忠誠心を計ろうとしたのだ。これでは組織がうまく回転するはずがない。
また、粕谷の『中央公論社と私』によると、権力に溺れた高梨茂専務の行動も社内の混乱をもたらしていた。
宮脇がここまで順調に出世してきた背景には、当時、専務として中央公論社を事実上仕切っていた高梨との深い繋がりがあった。
出版部次長時代、部長の高梨とのコンビで社内的には傍流であった書籍出版部門を社業の中核的存在にまで拡充していった。そして高梨が出世すると共に、嶋中社長にも目をかけられるようになる。出版部門での在籍が長かったにもかかわらず、看板雑誌である『中央公論』と『婦人公論』の編集長に就いたのも、いち早く重役として取り立てられていったのも、彼の存在があったからこそだろう。
だが、粕谷によると、高梨は猜疑心の固まりのような人物であったという。気に入らない同僚や部下に癇癪をまき散らし、それに諫言する人間は次々と去っていった。
宮脇はその飄々とした性格もあって、社長と高梨、そして現場の部長や組合員たちの調整役をやってきたようだが、やがて複雑な人間関係に巻き込まれていった。
- 2006/12/14(木) 21:09:22|
- 宮脇俊三と中央公論社
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評価が高い今年の『風林火山』を楽しめるツールとして、この本を見ています。前編には少なかった、家臣団のインタビューでは、特に飯富役の金田さんの「今年の大河はオヤジが熱い」という言葉が印象的でした。他にも表紙を飾る3人の対談や脚本家のインタビューも読み応え有
- 2007/10/16(火) 02:34:30 |
- りなのブログ